Pâtisseries Régionales
フランスの地方菓子
Pâtisseries Régionales
フランスの地方菓子
2016年1月1日より地域圏が再編されました。これにより22あった地域圏が13にまで減らされてしまいました。もともとは細かな諸候領に分かれていたものが力関係によって拡大・縮小・統廃合された結果、フランス王家を始めとする大貴族によって大きな括りでまとめられました。近代に入ると革命によって誕生した共和政府によって新たに行政単位として細かに政治的に区分されました。その後現代に入ると、コルシカ島を含めた大陸内の領土が93の県に分けられましたが、人の往来や物流網の進歩によってより大きな括りでまとめる必要が出てきたため、1964年に22の地域圏の区分がなされました。そして2016年1月1日よりこれがさらに統合され13の地域圏区分となりました。中世以前からの歴史から鑑みると、すでに大きな括り自体がその歴史を反映しているとは言いづらいものでしたが、今回の再編によってはかつて存在した歴史上の区分に近いものも出来ましたし、全く反映していないものも出来ました。この現代に至って、歴史・文化で括ることよりも現状の統治体制や経済活動などで分けたほうが合理的ではありますが。ただ、このHPのようなテーマにおいてはあまり大雑把な区分だと分かりづらいので、2016年以前の地域圏区分のままで話を進めさせてもらいます。
Nouvelles régions / 新地域圏
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Nouvelles régions / 新地域圏
2016年以前と以降の地域圏区分を並べてみました。こうするとどう変わったかのかよくわかると思います。細かな変化はありますが、歴史・文化を語る上で大きな変化が4つあると思います。
1.Alsace、Lorraineが統合され、そこにさらにChampagne-Ardenneが加わりました。
2.AquitaineにPoitou CharentesとLimousinが統合されました。
3.BourgogneとFranche-Comtéが統合されました。
4.Midi-PyrénéesとLanguedoc-Roussillonが統合されました。
12世紀頃のフランスの勢力図です。青系がフランス王家の所領で、赤・オレンジ系の領土はイギリス王家(プランタジネット家)のものです。アキテーヌ公領が23地域圏時代のものよりも大分大きいことがわかります。むしろ13地域圏の方に近くなっています。ちなみにトゥールーズ伯領が13地域圏と大分かぶります。
15世紀におけるフランスの勢力図です。青系がフランス王家の所領になりますが、英仏百年戦争が終了したため、上図のような赤色のイギリス王領がなくなってフランス王領となっているのがわかります。ここでは真ん中右側にDuché de Bourgogneブルゴーニュ公とComté de Bourgogneブルゴーニュ伯があるのがわかりますが、前者が現在のブルゴーニュ、後者がフランシュ・コンテの各地域圏に相当します。Franche-Comtéフランシュ・コンテ地域圏でも書いていますが、中世初期はフランス王と神聖ローマ帝国をそれぞれ宗主としていました。中期以降はヨーロッパ全域で血縁関係の拡大などと相まり、神聖ローマ帝国(スペイン王家)やオーストリア・ハプスブルグ家の所領となりましたが、基本的にはフランス王家の血筋を受け継ぐ中で独自の施政を保持してフランス王家と強いつながりを持っていました。ちなみにComté de Neversヌヴェール公はフランス王家の傍系であり、系譜を同じくするDuché de Bourgogneブルゴーニュ公と非常に近しい関係でしたので、現代の地域圏区分では同じくBourgogneブルゴーニュ地域圏となっています。